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菊川流は初代の創流から二代目までの空白を除き、百二十年を超える歴史があります。 江戸末期六代目坂東三津五郎の高弟であった坂東小三津は長州藩毛利家に抱えられた御狂言師で、奥方銀姫を始め奥女中に御殿舞を教え、自らも品格のある芸を披露していたが、菊川局に目をかけられ、菊川の性を与えられて、菊川金蝶を名乗り、流儀を興した。 菊川金蝶は御殿舞の名手とうたわれ、六代目尾上菊五郎も幼少の頃、手ほどきを受けたほどであり、明治八年発行の「諸芸人名録」によれば、当時御狂言師の中でも特に格調の高い芸風であったと評判であった。 門弟の中で異色なのは、日本近代建築のため英国より招かれ、鹿鳴館や皇居、上野博物館等の造営で知られるジョサイア・コンドルであるが、彼は菊川流二代目を継ぐ筈であった金蝶の娘と結婚した。 其の後、流儀を継ぐ人材に恵まれず絶えていたのを、昭和十六年二月、初代の三十七回忌を契機として、坂東三代勝が七代目家元坂東三津五郎の了解のもとに、六代目尾上菊五郎、市川寿海、その他門下有志の推薦により、菊川流を再興して、二代目家元を継承し、菊川美代勝を名乗る。 二代目家元が宗家となり、娘の勝美が三代目家元を継いでまもなく、切れ味の良い素踊りと娘役で定評のあった、宗家菊川美代勝が急逝した(昭和五十五年五月)。二代目宗家美代勝の三十七回忌にあたり、三代目家元菊川勝美が宗家となり、娘の菊川裕美路が四代目家元を襲名し、平成二十八年四月に国立劇場小劇場に於いて菊川流四代目襲名披露公演をおこなった。 宗家菊川勝美が平成二十九年十月に急逝し、平成三十一年七月に宗家三回忌追善舞踊公演を国立劇場小劇場にて行った。